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こうした通貨不安がアジア全体を覆うなか、東南アジア各国の株式市場にも深刻な影響を与え始める。
八月二十八日には、マレーシア・インドネシア・フィリピン・タイ・シンガポールの東南アジア各国株が大幅に下落(マレーシア四・二%、インドネシア四・五%、フィリピン九・三%、タイ一・三%、シンガポール三・六%)、そしてその影響は香港や台湾にも影響を及ぼしそうな気配となってくる。
その主たる原因が、東南アジア各国金融当局の不手際にあるのは明らかである。
市場介入に大量の資金を投じても効果がないと見るや、介入自体をパッタリとやめ、今度は急激に金融を引き締める。
結果株価急落を招くと、一転緩和に動き始める。
このように経済の構造問題に手をつけず、場当たり的な対策がくり返されたが、当然ながら世界の金融市場の信頼を得ることはできなかった。
香港ドル売りを仕掛けたのはカンタムファンド。
しかし、金利上昇後は投機売りが一旦止まることになる。
この八月十五日のソロスのアジア出没は、十月一十三日の香港をその発端とする世界的な株式大暴落の伏線であったと言える。
その極め付きはマレーシアの一連の株価対策であった。
政府系機関によるPKOはともかく、国内投資家から市場価格を上回る価格で政府が株式を買い上げる政策は、海外投資家の不信感を増幅した。
そして「海外投資家に協力したものは治安維持法で取り締まる」とくれば、まさに自由主義経済社会の近代国家とは言えない状況であった。
こうした一貫しない金融政策、市場を無視した株価対策、資本主義の常識に挑戦するような政府高官の発言などを背景にして、通貨不安に嫌気がさした海外投資家が売りを先行させていったのこのような株式市場の深刻な低迷は、域内企業の資金調達にまで影響を与え始める。
例えばタイなどでは、七月以降、株式の新規上場が止まっている。
マレーシアでも通信会社と高速道路運営会社が上場延期、インドネシアでは大手財閥系銀行の上場先送りなど。
もはやアジアの通貨危機は一筋縄ではいかない状況にまで追い込まれてきたのであった。
九七年九月二十日、香港でG7(七カ国蔵相・中央銀行総裁会議)が開かれる。
ここから先の一連の論理の展開のために断っておきたいのだが、このG7の開催場所は、「混乱が起きている地域の中心地に急這決まる」のではなく、「あらかじめ、少なくとも半年前に決定される」ということである。
とりあえず中国返還というビッグイベントがあった香港で世界的な会議を開催しようとするスタンスは肯けても、開催地域全体のここまでの混乱が予想できたかどうかという点に頓着したいのである。
しかし唯一それを予想し、全般的なシナリオ描けた国がある。
米国である。
今回の通貨危機が米国のシナリオだと仮定すれば、そのシナリオを実行することで、次の一点が米国の明確な国益として浮かび上がってくる。
@東南アジア市場で「米国モデルの市場主義」を浸透させること東南アジアの各国首脳が投機筋を批判したのに対し、米金融当局のルービン財務長官などは「問題は投機ではなく、それを引き起こすマクロ政策」である、と強調している。
そしてタイなど東南アジアで表面化した金融不安は、日本を含んだアジア共通の問題である、としている。
それは「日本は今後の金融モデルにはならない」との米国資本主義の主張を、東南アジア諸国に完全に理解させることにほかならない。
A東南アジアにおける米国勢力圏の維持対ドル変動相場制への移行が相次ぐ東南アジア各国へ、香港返還後の中国が同地域で米国に対抗する布石を打つため、日本に次いで支援規模を積み上げている。
そこへ先制攻撃を仕掛けることで米国勢力圏を維持・拡大する。
このような〃米国の陰謀〃が見え隠れするなかでの香港G7であったが、G7後の共同声明も非常に暖昧なものになっている。
しかし今回の香港G7の究極の目的が、対中国に対して、日本を除く自由主義経済の大国であるG6が、前述の二点に対してあらかじめ同意していたとするなら肯ける声明であった。
共同声明のポイントは次の三点であった。
@為替相場は経済のファンダメンタルズを反映すべきであり、過度の変動はのぞましくない。
大きな対外不均衡の再来をもたらすような過度の下落を避けることが重要である。
A七カ国経済は順調だが、成長率が高い国は消費者物価の動向を注視する必要がある。
いくつかの国では内需主導の成長の達成が重要である。
Bタイなど東南アジアの通貨不安に対する国際的な支援を歓迎する。
危機の波及を最小限に食いとめることが重要であり、今後も東南アジアの金融市場を引き続き監視する。
一九八七年十月十九日、世に言うブラックマンデーが起こる。
当時の米国は財政・貿易のいわゆる〃双子の赤字〃を抱えていた。
米国はその赤字補填のため海外から資金の流入を必要としたが、当時は一九八五年以降のドル安局面、そして金価格が一トロィオンスU五百ドルに接近するなど、商品市況の上昇も手伝って世界的にインフレ懸念が広がり、西独連銀(当時)が金融引き締めに走ったのをきっかけにニューョーク株価が五○八ドル(一三・六%)の急落を見せることになる。
そのブラックマンデーは、当時の先進国の政策協調による金融緩和で乗り切ることになる。
特に円高で膨張したジャパンマネーを背景として、東京市場がいち早く下げ止まったことが各国の相場立ち直りを促したのである。
相場の世界にサイクル(時間)からくるアニバーサリーという転換期がある。
ブラックマンデーから十年後のアニバーサリーにあたる一九九七年十月一十三日、またもや世界の株式暴落が起こったのである。
一九九七年に起こった世界的な株式暴落は、ウォールストリートを中心にブルーマンデー(憂諺な月曜日)と名付けられた。
まず、一九八三年十月の経済危機以降、十四年にわたって香港の通貨制度の根幹となってきたペッグ制(米ドルとの連動相場制)について説明したい。
香港のペッグ制は、民間発券銀行三行が香港ドル発行の際、一米ドルU七・八香港ドルの標準レートで、米ドルを当局の外貨準備に預託することで成り立っている。
香港ドルの売り圧力が強まり、八香港ドルまで相場が下落した場合、銀行がこの市中レートで香港ドル紙幣を買い取り、発券銀行を通じて標準レートで外貨準備内にある米ドルと交換すれば、まず台湾ドルが十年振りに一米ドルU三○台湾ドルを割り込んだ時点から、一斉に香港ドルの売り攻撃が浴びせられることになった。
香港金融管理局(HKMA)は、このような〃投機筋の攻勢〃に対して、カラ売りのための香港ドルを調達するコストを引き上げる意味で、翌日物銀行間金利が一時三○○%を超える水準にまで急上昇するような短期金利一米ドルにつき○・二香港ドルのサヤを抜ける。
こうした裁定取引によって資金需要が逼迫し、香港ドルに上昇圧力が働くことにより香港ドルの下落を防止するのがペッグ制のメカニズムである。
金本位制における金の替わりに米ドルを裏付けとした通貨制度である。
東南アジアの〃最後の砦〃、香港ドルが動揺し始めるのは一九八七年十月十九日のブラックマンデーからちょうど十年が過ぎた、一九九七年十月二十日からである。
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